某件の所感その3
最近引き継ぎへの意欲が衰退した。
2つぐらい理由がある。
*多くの人たちから「もう全て放っておけばいい」と言われたこと
影響を受けやすいと言われたらそれまでだけど、確かにこうしてブログに書いてしまうぐらいにはメンバーに話を伝わるように発信しようという気力が湧いてこない。
また、周りの人が引き上げろと言ってくれるにあたり、妥当性ある根拠も提示され、それが自分の中でもだいぶ納得してしまっているのもある。
*即時的解決を求めすぎなことと、寛容さが自分に足りない
先々週日曜にミーティングをやった。
そのときに必要なものを早期的に引き継ぐという話になり、メンバーに「一週間以内に連絡してください」と頼んだと思う。
そして火曜あたりにメンバーから「木曜には連絡が来る」と聞いて、だいぶ一安心した。
というのも、”資料を持ったままの自分”という状態が続くことはだいぶジレンマが生じていた。
顧問の先生に渡してしまえば終わる話なんだけど、それだと今後の組織活動的には実は意味がないことも知っていた。
ただ、木曜には連絡が来なかった。
土曜に連絡が来て、私が想定していた「引き継ぎ体制が整った」というものではなかったとだけ記す。
私にはその連絡がなぜ必要なのかわからず、返信を保留にしている。
あと同時に別件で違うメンバーにも連絡を入れていた。あることについて確認してきてほしいという内容である。それについて数回、自分のやれる限りの丁寧さで”その情報がどうして自分に必要なのか”を説明した。
メンバーに重要性が伝わったまで確認は取りにくかったが、ひとまず返信は来た。
率直に言うと、一見どういう意味を持つ情報なのかわからないものもきた。
そのため「その説明が何に必要なのか見えてこない。しかし教えてくれたメンバーには必要なのかもしれない。ただ、私にはその情報がどう関連づけられるのか見えてこない。」という気持ちを受けた。
そのまますぐに「その情報は、私が確認してほしいと頼んだAという情報にどう関連づいているのか教えてもらえないか。それとも関連づけは特になく、単なるオプションとしての報告か?」とか聞けばよかったんだろうけど、いきなり「もういいや」となった。
文字情報ならあとで読み返したときに「なんてことないじゃん」とか笑い飛ばすのかもしれないけど、一年の組織活動を通して「これは何々ということを達成するのに必要だから、やっていきたい。協力してほしい。」という言い方を極力やってきたと自分で思うために、そこらへんの言い回しの気遣いが空回りしたという気持ちが強くなった。
別にメンバーには私のそうした言い回しの努力を否定する気はないと思うけど、なんかそういうものを受けた気になってしまっている。
現にメンバーからその後連絡も来ないし「あ、もう終わった話なんだな」とか、あるいは違う楽しいものに気持ちが向いているか、それでも別にいいんだけど、私が受けた気持ちをメンバーに直接言えない程度の信頼関係に自ら留めてしまったんだよなとか、色々考えている。
取り留めないけどとりあえずこんな感じ