みたぬメモ

(@srknr)の活動と所感履歴,

進捗が出せない

進捗が出せておらず、大変まずい。

原因は自宅とラボ作業分離させていたことが、アダになったと思っている。


これまで気分の問題で、ラボでやる作業と自宅でやる作業を分離させていた。

理由としては、ラボで作業をしていると初心の気持ちを忘れることなくコンスタントに進捗が出せるだろう、という思惑からである。


しかし最近になり、ラボで作業する際に進捗が出るときと出ないときとで大差が発生してしまっている。

原因に関して思い当たる節があるにはあるが、確証は持てないのでまだ記載はしない。


ただ、ラボでやる作業と自宅でやる作業はかなり連動しているため、ラボ作業が進まないならば自宅作業も進まない。

だからといって自宅作業オンリーにするかというと、ラボ内でのみ閲覧環境を整えたデータがあるため、その方法はあまり検討していない。


こんなことになるとは思っていなかった。

大変まずい。


作業意欲が落ちた

やると決めたときはやろうと思っているものの、感情的要因でしばしばやる気をなくしている。

一番煮詰まっているのが、年末あたりからの資料作成である。
ここらへんのやる気低迷の原因は自分でもわかっている。あまり思い出したくないぐらい、けっこうキツイことが起きたからだ。
そのことと連動して、さらに嫌なことを思い出してしまうぐらいには本当に厳しい気持ちになる。

箇条書きに何があったのかを書くと、
・メンバーの連絡を待っていたのに結局真夜中まで連絡がなかったため、ラボにずっと残るハメになったときがあった
→そのとき体調不良でさらに胃が痛くなって、椅子から思わず落ちたぐらいひどかった
→研究進捗出せてなくてそれも辛かった
→ちょっと今体調が悪いからSNSに書き込みお願いしますとLINEグループに書いたけど、既読が3つぐらいついても尚反応がなかった
→帰り道がすごく寒かったのも覚えている
→その週にメンバーから冗談なのかわからないキツイ話を持ちかけられたのも辛かった
→連動して、私が所属していたある組織のOGとM2にやられたことも思い出して大変厳しくなった
→次の日の放送はやっぱりダメで、めちゃくちゃ迷惑かけてしんどかった
→放送後はメンバーにすごく煽られて、はっきりいってそのメンバーに抜けてもらいたいぐらいしんどい気持ちになった。

その放送終わりのラボへの帰り道のとき、顧問の先生に声かけてもらったんだけど、辛すぎて「ごめんなさいすみません」とかそれぐらいしか言えなくなり、その先生も次に授業があったのにも関わらず、弊ラボまで送ってくださったのは感謝している。しかし当然自分のところのボスにもめちゃくちゃご迷惑をおかけしてしまったということがあった。友人メンバーにも心配かけた。

前日遅くまでメンバーたちと連絡が取れなかったのは、飲んでいたのかなとか遊んでいたのかなとか当時のことを思い出すと未だに色々疑心している。
それぐらいにはそのときが凄くキツかった。

私が現状それなりに引き継ぎ資料を作成する意欲が落ちないでいられるのは、このとき身体的精神的どちらも厳しかった記憶があるからこそ「同じことが同じ組織で起きないようにしよう」と思っているからである。

ただ、現在私が受け取る連絡の様子からは改善されているかというとそうでもないし、そもそも私の置かれていた状況が厳しすぎたという事実のため、再び同じことが起きない可能性が高いという気持ちもある。

だから、辛い記憶をわざわざ掘り起こしてまで引き継ぎを作成する必要があるのかというジレンマを抱えつつある。
しかも、ほとんどの事項がそのときから半年経つ今でも尚、改善されていないように思えるから尚更なのだ。

私はメンバー各位のことは好きだし、私も人に迷惑をかけるので言える立場でないが、どうもこのときのことが自分の中で上手く飲み込めない。

引き継ぎ資料進捗その1

データ振り分け設定を間違えていて、300個程度の確認かと思ったら675個ぐらいあった。設定次第でまだ見つかる予感がするので、結構戦慄している。


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当時のメールテキストデータを読み返しながら資料を作っていると、当時あんなことがあったなあとか、あのとき雨が降っていたなとか、結構細かいことを思い出す。

かなりセンチメンタルが入っていると承知で書くと、私ぐらいしか覚えていない当時のことを書き出したこれが公の記録になると思うと、ちょっと寂しい気持ちを覚える。

ただそれ以上にきちんとした形で保存される記録になるときを想像すると、やりがいはあるなと思う。

とりあえず次の日曜までには何かしら形にして出したい。


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あとこのメモのPVが今月に入って100回到達したっぽい。今日は2日ですが、月初早々にこのような根暗引き継ぎ日記を読まれていると思うと、多少の申し訳なさと感激を受ける。

UECメールの転送設定を消し忘れた

昨日付けでUECメールが使えなくなった。

おおよそ動作の予測もついていたので、バックアップは取っていたから問題はない。0時ちょうどにiPhoneに追加していたUECアカウントからの「取得できませんでした」表示と、ブラウザからのアクセスも無効になったことで、ようやくお役ご免になってしまったのだなあと思った。


だけど、転送設定を消し忘れていた。

メール設定諸々を管理している情基のサービス案内に「一年間はメールを転送するので、不必要なら切っておけ」とあったのは記憶していたけど、引き継ぎ資料制作ばかりに気を取られていて忘れていた。

そのためメールサービスにアクセスはできないが、おかげで未だに私の学内メールに届くメールが私用メールに転送される。

0時を過ぎて私用メールから学内メールにメッセージを送ったところ、私用メール宛てに転送されたのを確認した。


個人的には「ああうっかりしていたな、おかげで講義に関する学内MLがまだ届いてしまう。」と思っていた。

しかしそのうっかりのおかげで、先ほど活動の顧問の先生からのメールを読むことができた。


メールは元気ですかから始まり、資料制作ありがとうございますといったもので、相変わらず私の知っている先生だなという感じだった。

そして最後に添えられた「このメールが読めることを祈ります」という一文は、他の人からしたらなんてことない挨拶の内容なのだろうけど、無性に感動してまたしてもうっかり涙腺が刺激されかけた。


この先生が顧問で、UECメールでこのメールが受け取れて本当によかったなあと思った次第である。



UECアカウントは消滅するけど

引き継ぎ資料制作はまだ続く。



先ほど、メンバー宛てにUECアカウントからメールを飛ばした。

特に昨年一年間はこのメールアドレスにたくさんお世話になったので、感無量である。

そして一年間一番メールをした人(たち)にメールを送れたことが、なぜか大変嬉しい。

連絡としては微妙な内容だけど、UECメールとしてはキリのいい終わりの使い方となった気がしている。


UECメールが築いてくれた縁に感謝。

今までありがとうございました。